国語力は遺伝するのか【愛知県日進市香久山の国語専門個別指導塾】
小学生のうちは国語の力は家庭環境によるものが大きい
このように聞くと、小学生の子どもを持つ親はどきっとしてしまうかもしれません。今回の文章をお読みになる方はおそらく小学生の子どもを持つ保護者が多いと思います。今回は子どもが小学生のうちにできる事として記事を書きます。ぜひご参考にしてください。
最近は、科学の発達により遺伝という非常に難解なメカニズムの解明が随分と進んでいます。それによると、子どもの空間把握能力(図形的な感覚)は、7割くらいは遺伝するのに対し、言語能力は約2割弱しか遺伝しないそうです。これは、元々算数や数学の図形が得意な子はいても、国語が得意な子はそういないと言い換えることができます。
では、どうやって国語の力をつけていけるのでしょうか。
結論から言いますと、家庭環境が非常に重要なのです。今回は、その重要なポイントを三つに絞ってお伝えしたいと思います。
たくさんの大人と会話ができる環境
まず一つ目は、「たくさんの大人と会話をする」子どもは間違いなく国語がよくできます。
例えば、両親だけでなく祖父や祖母も同居していて、週末になると親戚のおじさん、おばさんがよく遊びに来る家があるとします。その人たちの日常会話を常に聞いているだけでなく、時には子どもであってもその会話の中に入らなければならない、ということも多々ある訳です。
そういう子どもは、間違いなく会話能力に長けています。当たり前ですよね。様々な年代に合わせて話をしたり、子ども同士なら「例のアレ」で通じるものも、相手が大人だとそれでは通じないのが当たり前です。一から説明し直すことだってあります。その時に、きちんと筋道立てて説明をする必要があるため国語の力は身につきやすいのです。
私自身が子どもだった頃、そこかしこにたくさんの大人がいて、声をかけてくれたりあちこちに連れて行ってくれたり、時には叱られたりしたものです。面白い遊びを教えてくれるお兄さん、親戚のおじさん、ボール遊びで庭を荒らすと怒鳴って怒る近所のおじさん・・・など数えきれない大人がいて、子どもと大人が会話することが多かった時代だったと思います。
残念ながら今は、安全面などでそういうことが難しくなっています。時代背景を考えると、多くの大人に囲まれて育つ、というのは今のご時世、なかなか難しいのかもしれません。
曖昧な言葉を使わない丁寧な会話
二つ目は、「曖昧な言葉を使わずに丁寧な会話をする」です。
私が学生の頃にももちろんありましたが、それにもまして今は省略の時代です。「了解しました」を「りょ」の二字で済ませてしまうのは最たる例です。また、「微妙」という言葉も多く耳にします。的を射た表現を知らないがために「微妙」という言葉で全て代用できてしまう現在の言葉文化にいささか寂しさを感じてしまうのは私だけではないはずです。
「今日の映画、見てどう思った?」「う〜ん、微妙」
「嬉しい?それとも悲しい?」「ええと、微妙だね」
これでは語彙力は上がりません。
語彙力は、言葉を組み立てる論理力と同様、正しく物事を伝える上でとても大切なものです。丁寧な会話とは、適切な言葉を正しく組み合わせてするものであり、そこに必要な物は語彙力と論理力に他なりません。これらを身につけるためにどうすれば良いのでしょうか。答えは簡単です。
子どもと、「何があったの」「どう感じたの」「つまりどういう事」の流れに沿って会話をすると良いのです。どういうことがあって、それに対してどのように思ったか、できるだけ適切な言葉を探させます。もちろん、主語述語を省略せずに文章化して伝えさせます。うまくできない時は、親が答えを言ってあげましょう。このように言うのだよ、と見本を示すのです。そして、「つまりどういう事なのかな?」もしくは「どうすればよかったのかな?」とまとめさせてください。子どもがうまく言えなくても叱らず、見本を示し、あくまでも日常会話の中で論理を組み立てる意識をさせましょう。
規範意識
そして三つ目は、「規範意識が高い子どもは国語力が高い」です。
規範とは、他人の模範となることです。つまり規範意識が高い=皆のお手本になろうとする意識が高いということになります。例えば、規範意識が低いクラスメイトに対しては、なんとなくではなく、相手が納得するようにきちんと説明をしたり、注意したりする必要があります。
ここで高い国語力が要求されます。
さらに、自分も見本を示そうとするならば、こうあるべきだということを感覚的ではなく言語で具体的に伝えるべきです。部活などでは、人をまとめる立場になると色々な人からやっかまれたり、ぶつかったりします。その時にもやはりわかりやすく人に伝える国語力が求められるのです。
この規範意識を育てるにはどのようにしたら良いでしょうか。
重要なのは、矛盾のない親子の会話です。
例えば、ある母親と子どもの食事中の会話を例にしましょう。
母親「ご飯食べている時はスマホやめなさい。」
子ども「でもお母さんもスマホいじってるじゃん」
母親「今大事なもの見ているんだからいいの」
いかがですか。これ以上ないくらい矛盾していますよね。もう一つ例を挙げましょう。
母親が料理中で子どもが勉強中の会話です。
子ども「ああ〜、漢字めんどうくさい〜テキトーでいいや」
母親「ちゃんとやんなさい!テキトーなことやってるから点数が取れないんでしょ」
子ども「お母さん、昨日も一昨日も同じおかずだよ・・・」
母親「いいじゃん、新しく作るのめんどうくさかったから、たくさん作っておいたの。文句言うならあなたが作りなさいよ」
これもお分かりいただけると思います。このように、大人に都合の良い会話がまかり通っている家庭で、規範意識が身に付くとは考えにくいと思います。むしろ親と同様、論理など無視して、自分に都合よく強引に事を進める子どもに育っていくことは想像に難くありません。
こうなってしまうと、他人と粘り強く話をしたり、論理的にわかりやすく伝える努力をしなくなります。
当然、国語の力などつくはずもありません。
子どもは、何気ない大人の仕草や言葉、行動をよく観察しています。言葉にして伝える力が弱いだけで、観察眼は大人と同じレベルと言っても良いでしょう。子どもに対して不義理な事をしていれば、国語の力がつかないこともさることながら、子ども自身もそのような大人になっていきます。そうなると、困るのは子どもなのです。
国語こそいくらでも点数は伸びる
国語の力というのは、決して先天的なものと諦めてしまうのは早計です。国語こそ後からでも十分力をつけられるのです。そして、国語の力が身につけば、その力は一生ものです。必ず、人生という航路を導いてくれる舵輪となってくれます。
私は、国語で困る子どもをなくしたいと考え、国語専門塾を開きました。共感していただけたら幸いです。
