みなさん、こんにちは。
今回は、医学部医学科在籍の三輪講師に監修してもらい、ブログにしました。
個人的には非常に貴重な内容ではないかと思っています。
三輪講師曰く、「医学部は理系だから、数学と理科ができれば合格できる」
もし心のどこかでそう思っている人がいるのなら、それは、手術室にメスだけ持って入り、麻酔も止血鉗子も持たないような無謀な振る舞いと同じ、だそうです。
手厳しい…💦
なかなか過激な表現で始めましたが、確かに私自身多くの医学部生を送り出し、卒業して現場に出ている教え子達と話している中で言えることがあります。
それは、「医学とは、究極のコミュニケーション学であり、読解の学問である」ということです。
なぜ医学部において、そんなことが言い切れるのでしょうか。
そのエビデンスを、受験、大学生活、そして臨床現場という三つのフェーズから説明しましょう。
受験の現実 国語が「合否の防波堤」になる
まず、目の前の入試についてです。多くの国立医学部では、共通テストの国語(200点満点)が課されます。二次の配点比率が高い大学もありますが、ボーダーラインが9割近くになる医学部受験において、国語での失敗は致命傷になります。
ここで見落とされがちな事実があります。大学にもよりますが、二次試験に配分される共通テストの数学(1A・2B)の合計点と、国語の配点がほぼ同等に設定されているケースが少なくないことです。
つまり、数学と同じだけの比重を持つ科目であるにもかかわらず、軽視されやすいのが国語なのです。
理系科目においては受験生同士の差が生じにくいくらいみんなハイクオリティで仕上げてきます。正直、数学や物理で差をつけるのは非常に難しい。
しかし、国語はどうでしょうか。
多くの理系受験生が国語を軽視し、対策を後回しにします。ここで安定して共通テスト現代文で8割、9割を取る「読解の型」を持っているとそれが理系科目で万が一計算ミスをした際の強力なバックアップ、いわば「防波堤」になります。
しかも、国語(現代文)の学習においては、こと読解力の習得という点で言えば、膨大な時間とコストがかかり、現代文の対策を後回しにした結果、受験までに間に合わない可能性が大いにあります。
筋肉がすべてのスポーツの基盤であるように、語彙力が国語の基盤です。その語彙力を身に付けるのに多くの時間がかかり、さらにそれらを使ってさまざまなジャンルの文章を読む力を少しずつ少しずつ身に付けていき、読むことができる文章レベルをゆっくりと少しずつ上げていきます。
国語力とは、コーヒーをドリップするようにじっくりと身に付くものなのです。
だからボーダーラインが9割近くになる医学部医学科受験において、国語(現代文)は、学習計画も含めて失敗が致命傷になることがあります。
加えて近年の入試問題の傾向を見ると、理科や数学の問題文自体が長文化し、複雑な条件設定を読み解く力が求められています。
「問いが何を求めているのか」を瞬時に、かつ正確に把握する力——これは国語力そのものです。
問題文の読み違えで失点する生徒は、数学ができないのではなく、さらにちゃんと読んでいなかった凡ミスでもなく、国語ができていない可能性も否定できないのです。
…ネガティブな話ばかりをしてしまいました💦
しかし、視点を変えれば、国語(現代文)ができるというのは他科目に比べ、大変に有利なんです。
国語は英単語や理科のように膨大な暗記を必要とする科目ではなく、一度読解の型を身につければ安定して得点し続けることができます。そのため、早い段階で基礎を固めておけば、直前期に国語学習に多くの時間を割く必要がなく、理科や数学にリソースを集中させることが可能になります。
まさしくこれは受験戦略上、非常に大きなアドバンテージになります。
大学生活:膨大な情報を「構造化」する力
晴れて医学部に合格したみなさんを待っているのは、長い歴史の中で人類が積み上げてきた膨大な医学知識との格闘です。解剖学、生理学、薬理学……。これらを単なる「暗記」で乗り切ろうとする学生は、必ずどこかでパンクします。
医学書を読み、最新の論文を読み解く際に必要なのは、情報の「構造化」です。「この症状の主因は何か」「それに対する仮説はどこにあるか」「論理的な飛躍はないか」——これらを判別するのは、国語の時間に培った「段落の関係性」や「論理構成」を把握するスキルです。
これは、まさしく当塾で行う「構造読解」にあたります。
構造読解の重要性は、「どんな文章をも読解できる汎用性のある論理的思考」であることに尽きます。
そして、当塾で行うもう一つの修英式読解メソッドである「論理読解」による「クリティカルシンキング」は、医学において批判的に読む姿勢を求められた際に最大限に生かされます。
患者さんの価値観や意向、最新の医学的エビデンス、医師の経験を統合し、目の前の患者さんにとって最適な治療を決定する医療の在り方であるEBM(Evidence-Based Medicine)では、論文のデザインやバイアス、統計的有意差と臨床的意義の違いを読み解く力が必要です。
これはまさに、文章の前提・主張・根拠の関係を分析する高度な読解力に他なりません。
膨大なテキストからエッセンスを抽出し、自分の知識体系に組み込む力。
このスピードと精度こそが、進級を左右し、国家試験の合否を分けるのです。
臨床現場:言葉は「診断」と「治療」の道具である
次に、医師になった後のことを想像してください。
医師の仕事は、患者さんの話を聞くことから始まります(問診)。
患者さんは必ずしも論理的に話してくれるわけではありません。不安、痛み、混乱の中で発せられる断片的な言葉の中から、隠れた真意を汲み取り、背景にある文脈を読み解く力が必要です。
これは、小説の読解で登場人物の心情を「客観的根拠」に基づいて推察する「論理読解」におけるプロセスと全く同じなのです。
医療ミスをして「患者さんの求めていることをつかみ取れなかったから仕方がない」では済みません。決して大げさではなく、読解力が人の生死を分けると言っても過言ではありません。
当たり前ですが、患者さんの背景が一様ではありません。
高齢者、幼い子ども、日本語に不慣れな外国人、あるいはコミュニケーションに障害を抱えた方など、医療現場では「正確に言語化された情報」が得られない場面が日常的に存在します。
例えば、高齢者では症状の表現が曖昧であったり、幼児ではそもそも症状を言語化すること自体が困難です。また、外国人患者では言語の壁が存在し、伝えたい内容がそのまま伝わるとは限りません。このような状況において医師に求められるのは、断片的で不完全な言葉の中から本質的な情報を抽出し、相手の感情や意図まで含めて理解する力です。
すなわち、「何が言われたか」だけでなく、「なぜそのように語られたのか」「その背後にどのような不安や訴えがあるのか」を読み取る力が必要になります。この能力は単なる知識ではなく、読解力と共感力に支えられたものであり、医師としての価値を大きく左右します。
名医は、例外なく高い読解力を有するのです。
さらに臨床では、得られた情報をもとに鑑別診断を構築する必要があります。どの情報が重要で、どの情報がノイズなのかを選別し、仮説を立て、検証する。この一連の思考過程は、文章読解における「主題の把握」と「根拠の整理」と極めて類似しています。すなわち、読解力はそのまま診断推論能力に直結しているのです。
医師にとっても、患者さんにとってもとても重要なインフォームド・コンセント(説明と同意)の場面を考えてみましょう。
専門用語を並べるだけでは不十分です。相手の理解度や感情に合わせ、最も適切な言葉を選び、納得感のある説明を組み立てる。これは単なる説明ではなく、「相手に伝わる形に再構築する」という高度な言語運用能力を必要とします。
さらに医療はチームで行われるものです。
看護師や薬剤師、他科医師との情報共有においても、曖昧さのない正確な言語化が求められます。カルテ記載一つをとっても、事実と解釈を区別し、簡潔かつ論理的に記述する力が不可欠です。
「言葉の処方」を間違える医師は、どれほど医学知識があっても、信頼を勝ち取ることはできません。
国語力とは、単に日本語を操る力ではありません。「論理的に思考し、他者の世界を正確に理解し共感し、自分の意志を誤解なく伝える力」です。
そしてそれが受験生全体にも求められている力です。
だから、共通テストでは、現代と大きく時代背景や思想が大きく違う近代文学に登場する人物たちへの共感が求められるのです。
良い医師を目指すために、みなさんにはどうか正しい国語力を身に付けてほしいと心から願っています。
